2018年12月2日開催された第72回福岡国際マラソンで、服部勇馬選手が優勝し、大会では14年ぶり日本勢が優勝を飾ることができました。
服部選手は今回で4回目のマラソン出場、国内招待選手の中でも最年少のランナーだったわけですが、大学時代は箱根駅伝ファンには知られた東洋大の駅伝選手でした。かつては東洋大エースだった服部はイケメンでも有名でしたが、トヨタ自動車へ就職しマラソンに転向して以降どんな成績を残していたのでしょうか。
今回の福岡国際マラソン3位だった設楽悠太選手も東洋大でしたが、服部選手がマラソン転向後ここまで脚光を浴びたのは初めてかもしれませんので、改めて調査してみました。
ということで、今日は「服部勇馬の彼女や結婚(嫁)はいる?中学・高校や過去の試合成績は?」と題し、服部勇馬選手の魅力に迫ってみたいと思います。
服部勇馬選手のプロフィール・過去の成績
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◆プロフィール
- 氏名: 服部 勇馬(はっとり・ゆうま)
- 生年月日: 1993年11月13日(25歳)
- 出身地: 新潟県
- 身長: 176cm
- 体重: 61kg
- 所属: トヨタ自動車
- 大学: 東洋大学経済学部経済学科卒業
- 1500m: 3分51秒13(2017年)
- 3000m: 8分13秒13(2012年)
- 5000m: 13分36秒76(2015年)
- 10000m: 28分09秒02(2015年)
- ハーフマラソン: 1時間01分40秒(2018年)
- 30km: 1時間28分52秒(2014年)※日本学生記録
- マラソン: 2時間07分27秒(2018年)←福岡国際マラソン
- 2013年9区:【3位】1時間11分02
- 2014年2区:【3位】1時間08分43
- 2015年2区:【1位】1時間07分32
- 2016年2区:【1位】1時間07分04
服部勇馬選手の彼女や結婚(妻)は?
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鉄紺時代からイケメンで実力あるランナーだった服部選手。彼女がいるのか?という噂はかねてより持ちきりでしたが、確証のある答えは出ないまま卒業されてしまいました。
唯一具体的な噂があったのは、國學院大學の陸上部マネージャーだった川崎さんという女性との噂。しかし、寮で部員達と共同生活をしながら鍛錬の毎日って結構しんどいものがありそうですよね。その中で他校のマネージャーとつき合うってなかなか至難の業のように思えるんですが。
現在25歳の服部選手ですが、今年はなかなかマラソンで結果を出せなかった原因を洗い出し、勝負に出るための特訓をしていたようなので、まだまだ自分と向き合う日々が続いているのかもしれませんね。
服部勇馬選手の中学・高校時代は?
◆十日町市立中里中学校で県中学駅伝3年連続区間賞
服部勇馬選手はもともとはサッカーをしていたのですが、中学でサッカー部がなかったため陸上部に入ったのだそうです。確かにサッカーも体力勝負で走り込みは欠かせませんから、そもそも素地があったのかもしれませんが、入部後はすぐに頭角を現したようです。
1年生の頃、中学駅伝で区間賞を取ったというのは驚きですよね。お母さんがクロスカントリースキーをやっていたため、勇馬選手もスキーで脚力を鍛えることができたという環境もプラスに働いたのかもしれません。
◆中学記録 ※新潟県中学駅伝(全区間3km)
2006年4区:【1位】
2007年1区:【1位】9分46秒
2008年2区:【1位】9分29秒
◆仙台育英高校では駅伝エース
服部選手はその後宮城県仙台市へ引っ越し、仙台育英高校へ進学します。こちらでも1年から全国大会に出場し、少しずつ順位を上げていきました。
1年では全国レベルを初めて経験し11位と健闘、翌年には1区3位という見事な成績でした。しかし3年の年には脱水症状を起こし、21位となりましたがタスキは繋ぎ、後に救急搬送されるという苦い経験をしています。脱水症状がなければ区間賞もありえたのでは、と思いますが、この経験はそれ以降役立つことが多かったんじゃないでしょうか。
◆高校記録 ※全国高校駅伝
2009年4区(8.0875km):【11位】24分17秒
2010年1区(10km):【3位】29分43秒
2011年2区(10km):【21位】30分39秒
服部勇馬選手の彼女や結婚・中高校時代や過去の成績|まとめ
今回は「服部勇馬の彼女や結婚(嫁)はいる?中学・高校時代や過去の成績は?」と題してお送りしてきましたが、いかがでしたか?
2018年の福岡国際マラソンで優勝し、2020年の東京オリンピック選考会への出場権を獲得した服部勇馬選手ですが、中高時代の駅伝からマラソンに転向後は少し苦しんだといいます。後半失速する傾向を何とかしようと今年は40km走を積み重ねる毎日、そして12月ようやく花を咲かせることができたということなのです。
もともとポテンシャルは高いと思いますし、傍から見ればトントン拍子に登り詰めた感がありますが、高校時代の仙台育英高校は留学生もいるレベルで、努力せずに這い上がれるような環境ではなかったでしょう。地道な努力の末少しずつ階段を上がってきた経験があるからこそ、今回の優勝に繋がったということに間違いはありません。
とはいえ、まだまだこれは選考会への切符を手にしたという段階。この先にはオリンピック出場権への戦いがあり、まだまだ目が離せませんね。
では、今回はこの辺で。最後までお読みいただきありがとうございました。!
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